まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

それでもぼくはやってない

公開初日にめずらしく日比谷シャンテにいってみてきました。
夕方の回はお年を召された方から若者まで満杯で、関心の高さが伺えます。
しかし、、
なんとも渋い映画でしたね。社会派ムービーというか、
ああ、痴漢に間違えられないように日頃気をつけなきゃなと思いながら、
映画館をあとにするしかないというか。
システムがどうにもならない中で、じゃあどうすりゃいいんだ?
運が悪いってあきらめるのかな、としか思えない感じ。
最近、話の分からないひとといくら話しても仕方ない、
と思う感情と似ていて、うーん、せつないなと。
そのうち、テレビで見るかというのもいいけど、ここで一気に世論が
裁判の是非に走るというのが監督の思惑なのかな。
痴漢のビデオがうちにあったら、そういう容疑に掛けられる、と
いうのは男にとってはきつい。つまり性風俗から全くかけ離れた生活を
している人っていないわけだから、多分。
医者みたいに毎日診断を下しているっていうのも、一種の裁判ではあるけれど、
判例というか、まあ、画一的な診断が多くて、裁判官ほどは大変じゃない。
まあ、無難なところでおさめられるし、単独の判断はだめと
されている世界だから、おとしどころが見つかりやすい。
それに、ゴールが決まっている、生きるか死ぬかが最大のアウトカムであるから。
医者の方がまだ気が楽だな。