まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

またわかんなくなった

総合内科について人に説明しようとして、また考えさせられた。なんだろう、これ。内科とどう違うの?家庭医になりたい人ともどう違うのかわからない。そもそも総合内科のアイデンティティってなにさ?
ほかの科ができないところをやるっていうのはなんともいびつな話ではある。循環器科医が内科全般についてみれれば問題ない気もするし、呼吸器科医が大腸癌の術前検査したって総合内科医っていうかもしれない。
うーーん。
私が見てきた舞鶴市民の先生方は、しっかりと総合内科医していた。朝は早よから、せっせと回診して、プレゼンして、外来して、診断カンファランスして、ディスカッションして、回診して、当直して、勉強してって毎日のサイクルがある。検査だけして、カルテさらっと書いて、時間が来たらハイさよならなんてセンセイはいないのだな。沖縄もきっとそれ以上だろう、なんというか、スピリット。文化。総合内科的な雰囲気ってそうそう形成されるものじゃない。抗生物質も科のコンセンサスがあってしかるべきだし、murmurにこだわったり血培の取り方にも日々の進歩がある。そういうものが総合内科だろうか。そう考えれば、私がそれそのものであったわけではない。当院でもその真似事のようなものをしながら、なんとなくそれに近づいてきたという感じなのかもしれない。自分がなにものかもわからないままだが、総合内科に対する思いはこんなもの。そうなると、、やっぱりアウトカムなのだろうか。生存できるのか、総合内科医!