まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

なにをーー

医者をやっていたら、一度は患者の言うことに憤慨してどなってしまったり、不機嫌になったりした経験があるはずである。そういうとき、どうにも腹立たしくなったら、なにか力を抜く方法を覚えておいた方がいい。ふーーっ、なにいってんだろーっと。これも病気、病気がなせる技なのだと思って、私は自分の仕事をまっとうするだけ、と言い聞かせる、そうしないとよからぬ力が入り、患者をむりやり説得に入ったりすることになる。
医者というのはなんとも考えているようで何も考えておらず、科学者然としていながら、実はただの経験科学だったりする。こうしていたからこうする、どうにも私の力ではこう曲げることは出来ないのです、といって逃げることもある。頭を使わなくてもできるかもしれないのが医者の一部の仕事である。自然に任せて、神しか分からないのですとのうのうといってみたり、なんとなく何かを切り売りして整形を立てている行商人ぐらいの間隔がある。

悩む力 (集英社新書 444C)

悩む力 (集英社新書 444C)

頭を使わなくなったら人間おしまいである。私もそうだ。10年経って、大体のことができるようになったのだから、またその知識体系を見直してみる必要があるのだ。思い切り悩む、自我を押し出して悩み続けるという姿が漱石の描く主人公と自分を重ねる。ああ、そういうことだったのか、ニートよりも格調の高い高等遊民を目指してきたのだ、これまで。モラトリアムにとどまりたいというのはそういうところもあったのだろう。なーんもしないでも、自分が人より上だと見せたい、見られたいというのが強い自我として現れていたにすぎない。そのへんはどうでもいいとしても、わたしはどうあるべきだということを考える時間はまだまだ足りないのである(続く)。