まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

まずは書き残す仕事

昔の人は大切に自分たちの仕事を書き残していたらしい。寺院のステンドグラスにはキリストの誕生が事細かに描かれ、現在までそれを残している。ああ、なんと尊い仕事なのだろう。なのに、現代人はフロッピーに書き込んだ事実が消えてしまうと数十年の単位で物事を考えざるを得ないのは、まったく要領を得ないことである。
ということで、もっと記録しなきゃと思いつつ、できるだけのことを書き綴ろうと思った。半世紀まえの仕事が残ったように、いまの仕事を残すには普遍的なことをするか、とても自分本位の仕事をするかしかないと。好きなことして生きなきゃだめだなあ、だって、ギロチンで殺された近代の無尽蔵政治からすれば、いまの自由がどんなにすばらしいことか。大学から離れて好き勝手できるのは、大学にいないからなのだ.大きいものに巻き込まれれば、動きを失い、ベンチャーではなくなるのだ。家庭医療はどうなのだろう、なんとなくその過渡期にいて、衰退か繁栄かの分かれ目に来ている気がする。正しいことは守られるべきだと穏健政治家は言い続けるが、大勢ではない。正しくなくとも民衆に支持されることもある(世論とかマスコミとかはまさにそうなのだ)のだから、それに迎合するのも手である。
とにもかくにも、記録である。