まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

ガラパゴス化した日本

10年前ぐらいの総合診療創世記から「家庭医療」「総合診療」「かかりつけ医」について、それぞれどう違うのかさまざまな議論がされてきた。どれもいつも興味深く、楽しく、勉強になる意見が多い。さまざまな思惑や主張がいっぺんに表出されるので、まとまりきれていないように思う。
家庭医療は、すべての科をカバーするプライマリケアを担う人であるというのが超推進派の意見だった。日本での研修は総合内科医と区別の付かないまさにガラパゴス化した家庭医であるという見方さえあった。そんなものに惑わされてはいけない、世界標準で行こう。だから外国に留学しよう、持って帰ってきて日本に本当の家庭医療を根付かせよう。
自分が診療している診療所は内科中心で小児科の標榜もない。整形外科があり、糖尿病専門外来に通っている人もいて、やっぱり旧来型な気がする。若手の家庭医志望が目指す家庭医像とはちょっと違うだろう。かといって、いまの診療が「内科」かというと違う。診察室まで歩けないお年寄りの総合評価をして、認知症をスクリーニングすること。床ずれにラップなのか創傷被覆材なのかを一日議論しても解決しないこと。胃瘻の交換を在宅でやるか入院でやるかを迷うこと。入院したいといって入院した末期がん患者をまた退院させる努力をする日。子どもも見ない、関節注射もできない、お産もとれない、そんなのは嫌ですといわれるかもしれないが、これも家庭医の像である。そういうニーズが確かにあるし、まだ十分にやれていない。
日本には、開業医の先生方の「家庭医」、若手家庭医の「家庭医」、中堅総合医の「家庭医」、留学された先生方の「家庭医」、それぞれの像がある。docomo帝国と戦うソフトバンクに近い違いかも。それぞれに学生が反応してついてきてくれると面白いことになるなあと思う。そのための魅力をどうやって出していくかである