まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

秋季セミナー。

大阪での秋季セミナー。2次会の若手主催飲み会にも何故かしらややおっさん軍団として乗り込み見事溶けこむことに成功した。人見知りながらもわりと溶けこむじゃんと自分を褒めたくなる。しかしO倉くん、T井くんありがとう。S先生と一緒に「シニア若手」も楽しめましたよ。
公式懇親会はなんとなくさみしい感じ。これもいつもの通りだったなといまになっては思うのけれども、2日目にお聞きした永井先生のお話からして、プライマリケアを志す崇高な方々の仲間にいるということだけでもとてもいい気持ちがしていた。大体、ふつうに学生をやっていたら、第1外科とか整形外科の手強い勧誘に捕まって一生奴隷ぐらしをするのが当たり前であった。だってラグビー部だから。それなのに、誤ってなんとなく内科方面かな、でも総合的にみたいナと思ってしまい、なぜか日本でも相当小さい研修病院らしきところからスタートしてしまい、F先生の傘下に入るわけである。それもやはり必然だったかもしれない。
ついでに言えば、患者が無理難題を持ってきて、あの薬ください、湿布はいりません、検査はこの次で、いやあの薬は倍欲しい、すぐに往診に来てくれ、もうあんたには見てほしくないとか散々言われても、怒っちゃあ駄目なのだと永井先生を見て改心した。平穏無事にニコニコ、時間5分で回そうなんて思わず、ゆっくりと患者の話を最後まで聞いている方が結局早く終わるのだ。こっちが怒るほうが損。なにごとも相手に振り回されたら、こっちが乱されて終わるだけ。だから反応しない。何事もなんとかなる、そのうち。

街場の現代思想 (文春文庫)

街場の現代思想 (文春文庫)

大学についての項から引用。

そこに行くと「自分が知りたいことが知れる」からではなく「自分がその存在を知らないことさえ知らなかったもの」に偶然出くわす可能性があるから。

大学へ行く理由はそういう意味であり、医学部で教養廃止が進んでどんどんチュートリアルが早まっていったのもそれとは逆の現象だった。超真面目な女子学生に足並みを揃えてやっとのこと試験が通るほどの男子学生も、勉強しないことだけがステイタスだった学生時代。他に知りたいことは山ほどあった。どうしたって決まったことやるだけなら、iTunes Uで詰め込み通信教育してればいい。それでは面白く無いから学校に行くわけだ。自分の知らないことに出会うために。結局なんなのかといえば、プライマリケアはそういう知らないことに沢山出会う可能性が高いということで、92歳の永井先生にも開業したらそのうち飽きるんじゃないでしょうかという質問をしたけれど、そうではない、ほんとうに楽しいことばかりですよとお答えになった。自分の好きな診療をゆっくりとマイペースで行うなんてホント楽しいじゃないか〜!と思う。学会のあーだこーだなんてどうでもいい。そう思い始めているこのごろ。