まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

何をなすか

生きている間になにができるか、28で死んだやつもいるわけだし40で癌になるかもしれない。

そう考えると何かを成し遂げるなどというのはとてもあり得ない。

死んだ後に何かを残そうなんて思うのは結構むちゃなことで、誰かの言葉を借りれば、いままでの歴史に少しだけ加えられれば御の字なのではないか。

津波が来たなら、津波はここまで来たのだよと後世に教える仕事ができれば十分。

スティーブジョブズだってiPhoneiPadも作ったけれど失敗だらけだったし、敵も山ほどいた。マイクロソフトに比べればシェアなんて微々たるものだった。

ある意味、ただ生きたという事実だけでもかなりのものなのかもしれない。

ああ、センチメンタルになっているのだろうか。いや哲学的に言っているだけだ。とってもエリートな人たちが医者には多すぎて発言すら自由にできない。とくにジェネラルな奴ら。どんなに知識人であっても、その人たちが偉い訳ではないのにどうも萎縮してしまう。馬鹿でも生きられる世界になってほしい。

昨日は慈恵医大で統計の勉強してきた。二項分布に推定に検定。これをつかって量的研究してみたい。学生になって講義を受けまくるのもいいなあ、またそんな風にも暮らしたい。