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まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

医学的雑談の効用

毎週金曜日、午前中に病棟に行くことにしました。体制が厳しいこともあるのですが、自分自身の研鑽のためという意味も込めて。

病棟をふらふらしていると、知り合いの看護師には「徘徊している!」と罵られるので「高度な徘徊」だと説明しています。一応最近は白衣を着ているので、徘徊というよりぶらぶらしているようにみられます。いやきちんとラウンドしているのですが~。

といっても、いまのところ仕事はなし。回診をやりましょう、と言いたいところなのですが、午前中というのは病棟の入院があったり看護師の指示が飛び交ったりしていて忙しすぎる。落ち着いて回診をするのはけっこうむつかしいんです。

で、たまたま電カルを覗いている、少し暇な研修医を捕まえて、質問攻めにすることになります。というより、雑談をはじめるわけです。指導してくれる先生が来た!と少し喜んではもらえるのでやりがいはある。とはいっても、症例なにかある?という感じではじめるのですが。

医学的雑談、というカテゴリはあるのだろうかと思います。例えば、質問⇒答える、というのでは赤ちゃんに餌を与えるだけになりますからそうはしません。あくまでも遠回りする。考えさせるというのとも違います。自分が気づくまで外堀を埋めていくという感じでしょうか。

そうしていくと、研修医はあーっといって何かに気づく。話しているうちにわかってきました、みたいな。そうなると自分で調べることができる。

これの原点は舞鶴での「まとめ」だと思います。「まとめ」とは夕方6時からはじまりエンドレスに行われる1日のふりかえりです。といっても、うちとかでやっているSEA的な感情を入れたふりかえりではなくて純粋な医学的議論をする時間。延々とプレゼンして知識の応酬がおこなわれていく。それをわからないながらもじっと聴いていると、次には自分が話せるようになるというものです。

原型はそれですが、つまりは指導医と研修医の対話が重要だということになります。指導医はそう思っていると。研修医が何を考えているかをじっくり聞くということをもっとしなければいけない。そんなの聞いていたら診療にならないよ、と結構「内科医」は思っている。正しいことはこうだから、早くこれをやれよ、どうして言ったとおりにすぐやらない!と怒りたくなる。

まあ、医学的議論なので、雑談ではないのだけれど、早く答えが欲しい研修医からしたらまどろっこしくているのだろうけれど、それがいい。石橋を叩いて渡るほどいいのだと思います。エクスペリエンスだけの指導医も困るけれど、エビデンスをただ垂れ流すだけの指導医というのも困ります。

そういう議論ができないと、どうしようもない独断的な医者がすぐ出来上がります。議論なしの病棟なんて。ということで雑談を推奨です(Grade A)。