まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

がんばれニッポンといじめ

頑張れ日本!金メダルを目指せ!

いじめの構造はこういうものとほとんど似通っている。みんながオリンピックを見ているとなんとなくオリンピックの話題についていかないといけない雰囲気。

僕自身も見た目は明るく見えるほうだが、自分自身ではいじめられていると感じていたほうだ。死にたいとは考えなかったがもう学校に行きたくないという時はあった。勉強だったり部活だったり音楽だったりそういうもので癒されながら、前へ前へと進んできたのである。

日本的な村社会にはいじめの構造があるのだろう。田舎にずっと住んで、同じ人達と延々付き合っていくのは、よほど周りと上手くやる力が必要だし、中途半端に夢を持って都会に出てやろうというようなやつは地域社会には残れない。いじめられているようなものだ。

世間というのはなんとなく裏から手を回さないと上には上がっていかれないし、仕事も回ってこないのはやっぱりそこも政治的である。自分がいかにすごいかを提示しながら、自分のポジションを探っていくような人が上に行ける、学歴は高いほうがいいし、東京にいるほうがチャンスは多い。本当のパイオニアは別だろうけど。

そういう主に泣いてますな人たちはどういう風に生きていけばいいのか。

閑話休題。ふと病院総合医を気にしてみたりする。家庭医療専門医を取得した後に取れる資格、病棟を管理する能力や教育、研究のスキルを認定するらしい。うーん、うまくいくだろうか。やっぱりわかりにくいのだ。出すほうがわかっていないと、一般のかたはもっとわからない。みんながドクターGを目指すわけじゃないだろうに、目指せる認定ならそれはぜひとも取りたいと思わせるけれども。

オリンピックに便乗したイギリス関連の記事、失業者の生活を写したテレビがあった。結論に持っていくための取材、ディテールはディレクターの思うがまま。お涙頂戴のほうが喜ばれる。チャンネルを変えれば、いじめがいつまでも当事者だけのもので、だれも興味が無いからだれも罰せられない。原発と似ている。

といっても、テレビをつけてゴールの瞬間をまっているのだから日本人でしかないのだ、やはり私は。