まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

生協と暮らしの保健室

生協がやってきた支部活動は、地域ごとの差はあれ結構な実績を上げている。それだけの組織を作れているのは医療系では多分生協組織だけ。これは誇るべきことで何もせずして地域包括ケアの基盤がすでにあるのだと気づかされる。

 
所長として何がするべきか。職員と組合員をどうつなぐか。答えはできるだけ前に出ないようにしながら如何に職員参加をさせるかである。職員の活動は自発的な意思にささえられている。一方で長い年月をかけて事業化されている部分が多く、法人内の組織担当と一般職員での理解の差も大きく、閉鎖的でもある。
 
ひとりふたりのモチベーションの高い職員によって、それが突破されることもあると思う。しかし、組織はどうしてもトップダウンで決まっている。時間外の活動を決めるのはその部門のトップの決定による。個々人の主体性は潰される方向にある。
 
この古い組織のなかで、どうやって新しいことをやるか。
どうやら温故知新、原点に戻るのが正しい。
 
自分が動かないで周りを動かす。
できるからといって自分ではやらない。
でも、人のやらないことは引き受ける。
 
この前のStudio-Lシンポジウムで知ったロッジデールサークルが楽しそうだ。

rochdalecircle.org.uk

年50ポンド払うと無料で2回参加でき、様々な講座や趣味の活動に参加できる。みんなが楽しく集まるサロンのようだった。デイサービスのように強制的でもなく、自発的に集まってお茶を呑んだりして楽しむ。

ほとんど班会に近いと思うのだけれど、何か違う。4人いるフルタイムのスタッフが仕事が楽しくてしかたがないと報告する。

日本だと、というか私の周りだと、業務だからしかたないとか、人が集まらないから私がやるしかないといった義務的なことしか聞かないのだけれど、そういう自発的な集まりで楽しくやれるというのは本当に理想的だ。

そういう場が生協でも作れればとてもいい。

秋山正子さんの暮らしの保健室思想はまさにそういうところがよい。生協がやっていることとの違いはそんなにないかもしれないが、運営側のモチベーションという点では随分ちがう。枠を飛び出して新しいことをやろうとしているか、これまで通りを目指すのか。

荒川では診療所を中心として「暮らしの保健室」という名前を出している。新しさを出すためと職員参加を再び促すため。「班会」だとどうしても呼ばれて出るもの、呼ばれないなら知りえもしないという現状があるため。すこしずつ変わりつつあるところ。まさに組合員主体から、職員と組合員相互の協同、本当はさらに肩書の関係ない地域づくりが理想なのだけれど。

 

では〜。