まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

また学会が近づく

学会が近づいている。

自分の領域の専門家が集まり、成果を発表しあい、お互いの研鑽を高めるというのが学会の年一回の集会の意義だろう。

専門医を取得していれば、必ず出席して、単位を取らなければならない。

 

でも、なんとなくその場が苦手である。

昔はいろんな人と話せて刺激が貰えて楽しいというのがあったが、だんだんと苦痛に変わる。

大した成果もないのに出席するからかもしれない。

大きくなった学会に居場所を見つけられないからだろうか。

 

昔は地方での開催がよくあり、その土地のおいしいお酒と料理が楽しみだった。

初めて出会う人たちとも積極的に話して、交流を深めるのが好きだった。

それが疎ましく思えるのは自分が年をとったせいか。

頑張って飲みにいくぞーというより、ホテルに帰って休みたいと思う。

 

一つに、プログラムが多すぎて、全部をこなせないこともある。どうして並列にいろんなことをやるのか。出たいのが重なったらどうするんだろう。

この重箱詰め込み方式の日程はずっと変わらない。いつになったらもっと素敵なこじんまり学会になってくれるのか。

まあ、それが学会というもので、自分はいつになっても肌が合わないままなんだろう。

 

しかも、近頃は全部web配信、ライブ配信で見られるようになっている。

行かなくてもいいというのはコロナがもたらした唯一の利点だけれど、なんとも物悲しい画面との戦いを一日中するのは大変だ。子供に邪魔されながら聞きたいことも聞けずにお金を無駄にするのを繰り返す大人。

意味ないよなきっとと思う。

 

いつになっても、参加者と開催者の温度差は埋まらない。こんなのが楽しそうですよとかモデルケースを出してくれるのも、なんだかズレてますよとしかいえない。

庶民の気持ちにもなってほしい。この感覚は20年ぐらいあるので、一概に私のやっかみでもない気がする。

 

それでも学会には参加しなければいけない。出来るだけ時間を削ぎ落として、必要なものだけ出たい。余計なことはしたくないので、登録だけして帰る。

そんな人も多い気がする。

何かお祭りに参加して太鼓を叩かないで帰る感じ。それって何か寂しい。

 

それもこれも、自分が頑張ってないからだなと思わせられる。仕事ちゃんとやってるし、楽しいのに。

そんなことを思わないで済む学会になってほしい。

そう他力本願だけど。