まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

2012-01-01から1年間の記事一覧

思ったよりも

思ったよりも、自分は何も知らなかった。実際に支援にも行ったけれど、断片的にしか何も知り得なかったのだ。 福島から、宮城から、その時間をそこで過ごした人たちの話を聞くと、その時間にネットは見ていないし、テレビすら、電気すら数日無かった中で、も…

うちのIT事情3月

内科系診療所のいまを伝えるブログ、IT事情。 診療所ホームページ。休日診療所なんかはこちらをみて来ていただける方多数、医師会のページから飛んでくるんでしょう。 公式ブログがひとつ。これはアクセスが伸びていませんが、随時更新したい。HPの更新より…

高齢者救急

walk inでやってくる救急患者、救急室に苦しみながら入ってくる、看護師が駆け寄りバイタルがとられ医師が到着し、的確な指示が出される。。 のようなイメージが救急ではないか。しかし、実際の救急患者はそれだけはない。 たまたま訪問したケアマネージャー…

中堅とベテランのあいだ

自分はいまどのくらいの位置なのかが気になる。卒後12年目、いや13年目だったかな、、わかんなくなってきている。 若手というのは大体5年目ぐらいまでだろうか。そのあとは中堅と呼ばれる。10年目になるかならないかかな、なんとなく。 ベテランというとなん…

発信しなければ、得られるものはないについて

「発信しなければ、得られるものはない」とは情報の呼吸法、津田大介著からの引用。まさにそのとおりと思った。発信するものがなにもないといいたくなるのだが、多分日々の由なし事はすべて発信すべきもの、というよりしまっておくことがもったいないのだ。 …

変えられないこと。

世の中には変えられないことがある。自分はなにができるのだろうか。 熱が出る、お医者に行く、薬をもらう。ほとんどの人はそうやって満足するのだろうか。 医者の論理として考えると、インフルエンザキットの値段が馬鹿にならない、抗ウイルス薬の在庫が心…

コミュカレ準備

今日はコミュカレの日。ということですこしまとめ。 コミュニティをネットワーク化するというお題に挑戦している我が班。区内のイベントサークルをまとめてなにかハブ的なものをつくりたいという構想が持ち上がっている。確かに日常生活しているだけではその…

遊べる診療所

人間、欲というものに左右されているなあと言う気がする。 もう死んでも良いと言うときには、なにもしたいことはないと言っていても、 悩みが解決したときには、またろくでもない諍いを起こしたりいがみ合ったりするものなのか。 無心に生きるというのはでき…

家庭医のあつまり

家庭医が集まるとなんとなく内輪話になってしまう、、多分他科ではすでに経験していることとは思うのだが、ギルド形成というのは実はあまりよくない気がする。 先週末、2つのイベントに出席し講演やら事務局やら色々やらさせてもらっての感想。いつもノメン…

統計疫学御成門

土曜日は統計学の講義に出ていた。後ろのやつが携帯を堂々と使うのにはああ大学とはこういう常識の無いところかと。。ああ、別にもう話すことが無いからもう家族には帰ってもらっていいのに、とかいってて、どの面して医者してんだかと心の中で思う。お前の…

ネット上の死と仲間づくり

第三舞台の最終公演で鴻上さんはSNSとブログについて取り上げていた。死んだ後ブログはどうなるのか、ずっと残る、一度ネット上に浮遊してしまった文章はどうやっても削除することはできないのだと。 弟が亡くなったとき、Mixiでのアカウントがあったのを引…

家庭医のデザイン

私は家庭医ですというとき、どういうものを指しているかを考えてみる。 病気ではなくその人全体を見るようにしている。 内科、小児科だけではなく産婦人科、整形外科、皮膚科、泌尿器科、眼科などの別分野も最低限カバーできる実力をつけている。 臓器別の専…

何をなすか

生きている間になにができるか、28で死んだやつもいるわけだし40で癌になるかもしれない。 そう考えると何かを成し遂げるなどというのはとてもあり得ない。 死んだ後に何かを残そうなんて思うのは結構むちゃなことで、誰かの言葉を借りれば、いままでの歴史…

新渡戸稲造もそういっている

3日目。ブログもすこしずつペースが出てきた。「世界一退屈な授業」という本を買った。安直なまとめ本と思って手に取ったけれども古典といえることが書いてありそうだ。最初の新渡戸稲造先生の話の一部にどきりとした。1933年の早稲田大学大隈講堂での…

元旦二日に見たテレビ

新年あけましておめでとうございます。年が明けて実家から帰ってきてぼーっとした日々を送っております。家庭医としてはなにもしていない只のオフです。実は待機ですが。 今年には入ってから見た二つの番組について。日本のジレンマと新春TV放談、どちらもNH…

2012年の最初

年末年始は毎年、実家に帰るのが通例である。今年もそこで新年を迎えた。30km圏内で。 朝まで生テレビを見ている。福島の人は声高に叫んでくれている。津波から逃げた人、農業ができなくて困っている人、放射能をはかる人。確かにここも0.1mSVと低い。一番近…