まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

スペシャリティの本質

家庭医療学夏期セミナーが終わった。今年もご縁があり参加させていただけたことに感謝する。一二年目の医者でも学生と触れ合うことや仲間と再会することで大きくモチベーションアップになる素晴らしい会である。私がその場に参加するために特別に持っていくのは、演劇を通して家庭医の楽しさを学生に伝えること、である。どうしてそれをいつもやるのかといえば、
ひとつは自分が演劇が好きだから、自分のやりたい表現を通して自分も勉強したいという魂胆である。もうひとつは、医学が持っているわかりにくさ、頭のイイやつだけが医者になっている現状で、小難しいことだけが大手を振ってメインストリームをつくることへのアンチテーゼ、だろうか。わかんないやつだってこんなに愉しく出来ますよとかそういうふうに。理論だけが先行して、現場と乖離しているなんていやだ。だから、現場そのままを持ち込む。ああ、こんなに拙い文章を書くとまた、何言っているのかわかりませんと言われてしまうかもだがまあいい。
自分がやっていることで何が学生さんに訴えかけることができるかなあと思い返す。パップスメアも肩関節注射もやっていないし、小児への完璧な診療もままならず、お産の経験もない、そんな内科医崩れの家庭医である。これから、産婦人科と整形外科を三ヶ月ずつ、それに皮膚科と小児科をローテして完璧な家庭医になりたいっていいたいけれど、有給取得最下位の日本で三ヶ月の子供と日々戦争のような日々を送っている36歳のおじさんがそんなことを妻に言い出せるわけがない。はあーっといいながら、いまの診療の延長線上でやるしかないのである。でも、でも、私は自信を持っている。
それは、家庭医マインドっていうやつである。88歳がめまいがして救急車で来たいと言ったら、電話で重症度を判断して、どの病院に行ったらいいか、診療所に来ていいのかを指南する、後方病院にベッドを確認して、家族と本人が困らないようにする。整形外科がなくても、首の写真をとって、頚椎損傷じゃなくて、診察から脳梗塞じゃないと断言して、湿布だけだして返す、決してMRIをとるために遠くの大学病院を予約して2週間も待たせるようなことはしない。17歳の吐き気が来たら、GMばりの問診から食餌性の下痢を鑑別したあとに点滴もしてあげて、妊娠を除外するための問診をきっちりやり、妊娠反応が出た時の家族ケアも私なりにやったりする。
これが総合内科専門医のやることだろうか。小児科医は首のレントゲンを撮らないし、脳外科医は下痢についての詳細な問診はしないだろう。脳幹ジストロフィーはすぐ思いつかないけれど、誤嚥性肺炎と廃用症候群なら得意中の得意である。家庭医マインドを持ったひとりの医師ということでどうだろうか。それだけでも十分学生を希求できるだけの魅力はあると自負しているのだが。
学生と話せば、家庭医が日本で働くところがあるかどうか不安です、というレベルなのが日本。家庭医になりたい学生を取り込める場を多く作るのが私たちの仕事、もっと政策的にも理論的にも臨床的にも勉強しなくちゃなあと思い直したセミナーでした。後日談を含めて。。