まちづくりと家庭医2

家庭医がコミュニティを育てる日々の記録

臨床やりながらする研究のテーマとは?

ここ最近ですが、大学院での研究テーマを考えあぐねています。

私のような臨床をずっと続けてきた医師が改めて研究をしっかりやろうと思う場合にどんな目的があるのか。

もちろん自己承認のためというところもあるかもしれません。それならばもう少し早くに(若いうちに)とっていただろうなと思いますから、ちょっと違う気がします。

通常、プライマリケアの現場で湧き上がった疑問について、リサーチクエスチョンをつくり、それに対して研究を計画していく、のが研究に対する姿勢です。

しかし、、日々の忙しい臨床の中で、文献にあたる時間もそう取れていない状況ですので、そのなかで起きる疑問というのはそれほど多くありません。

それに大抵の疑問はすでに誰かが解決していて、エビデンスをよくよく調べることで大枠が掴めることが多いと思います。それに日本には総説を書く文化があり、多くの商業誌に何度となく読みやすい記事が載ってきますので、それで大体事足ります。

一次論文に当たる機会があまりないというのも情けない話ではありますが、忙しい、忙しい中でじっくりと考える時間をとることができないジレンマもあったり。。

研修医がいれば、初学者が感じる疑問に付き合う中であれっと気づくことも多いのかもなんて考えたり。。

 

と、うーん、うーんと頭を捻っていたのですが、どうも違う。

 

こんなことをしたくて大学院に入ったわけじゃない気がしてきました。確かに自分が本当に何が研究したかったということなのです。研究のための研究が一番やりたくないことなので、そうならないためには。。

 

少しPCから離れて、本を読んでみました。

医療人類学入門

医療人類学入門

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もともと学際的なところが好きで入った総合診療の世界で、特に病気そのものについて考える医療人類学は結構好きなのです。

改めて読み直してみると、医療人類学の研究分野というのがまさに私の知りたいところど真ん中であるし、そこの研究があまりされていないのではという予感はまだあります。

 

さらに時間があったのでこれも読みます。

こちらは社会学というのでしょうか。沖縄で生きる少女たちのお話というか社会学者のフィールドワーク。これはかなり家庭医療と似ているところもあって、患者さんのライフヒストリを取るという点は同じ気がしています。

 

やっぱり普通のプライマリケアでの病気疾患についての研究を自分で打ち立てていくというのは多分できないだろうし、偶然降って湧いた神がかりなアイデアで研究をするというのもどうも違う。自分が仕事をする、もしくは生きる上でどうにもなんとか正したいような「気がかり」を一つ一つ突っ込んでいくのがよいのかもなあなんて。

 

キャリアアップのために留学してはくをつけてやろうとか、そうじゃない人もいるのだろうけど、ローカルにやっている人が損をしないような医学界にならないだろうかといつも思っている。総合診療だけでも、目立たない人でも地道に公平にお鉢が回ってくる業界になって欲しいなあと思って、少し頑張ることにしているのですよね。

 

と、まだ研究テーマも決まっていない中ですが、少し頭の整理も含めて書いてみました。